■鈴鹿家住宅の平面
間口9間半、奥行5間の茅葺寄棟造で、ドマ、デイ、ナンド、ゴジョウ、ザシキ、オクノ マと南側と東側に廂が付く。千葉県の民家形式の特徴をもつ。また、デイには格子窓(獅 子窓)の痕跡と 仏間、ザシキにはトコノマを持たない江戸時代に多いこの地方の民家の 特徴が見られ、上総地方で現地に残る民家の中では最も古い様式をもつ、貴重な遺構と考えられる。
鈴鹿家の歴史は、現当主、鈴鹿博由氏が 15 代目となり、内田川史 1)では享保 17 年(1737) に善右衛門 2)の名が初見となる。天正 18 年頃(1590 年)に内田川が成立したようである。 また、残された古文書に・・・・・
※1):内田川史は昭和49年に書かれている。内田川とは、蔵持村の中で鈴鹿家のある地域を呼ぶ。内田川は鈴鹿家の南西を流れる川で、上流に調整池を水源とし、市原市に流れる二級河川である。
※2):善右衛門は鈴鹿家の○○代当主(○○に拠る) 建築年代は、宝暦3年(1753)と伝えられている。<根拠不明>
■鈴鹿家の特徴
1.大戸口側のドマとデイ境の柱は 1 間毎に立つが、ナンド側は 1 間半と広くなる。 2.ドマとデイ境には、1 間の壁が存在する(通常は壁がないケースが多い) 3.囲炉裏が現存する
4.仏間(仏壇)が現存する
5.ゴジョウ・ザシキ・オクノマの桁行方向の柱間は 2 間半で、ゴジョウの南面は柱がなく 2 間半の柱間となる。(ここが式台となっていたかは、要調査) 6.小屋組が当時のままで、屋根には茅が葺かれている(茅の上にトタンを被せているが、オ クノマを除き、茅の状態は良さそうである)
■後の増改築と思われる箇所
1.ゴジョウ・ザシキ・オクノマの南、東側には縁がある(土庇の可能性がある、要調査)
2.オクノマが畳敷でトコ・タナ・ショインがある(後の増改築、要再調査)
3.デイの獅子窓が掃き出し窓に変えられている(痕跡調査)
4.ドマとデイ境に鴨居・敷居がつくが、当初は板の間で建具は無い(後の増改築)
5.デイ、仏壇脇の戸棚押入は後の改造
6.ドマ、大戸口のガラス戸は後の改造
7.ドマに作られた物置場の間仕切りは後の改造
8.ドマとダイドコロの境のガラス戸は後の改造
9.味噌、漬物置場の間仕切りは後の改造
鈴鹿家住宅現状平面図
10.ダイドコロの板の間がドマに掛かる
(ダイドコロが後の改造) 11.デイの範囲が現在と異なり、北側まで延びる(ダイドコロが後の改造) 12.北側の開口部が改造されている(要調査)
■今後の課題
1.水はどこから供給していたか?
2.竃の位置と形状
3.囲炉裏の使われ方
4.湯屋(湯殿)便所はどこにあったのか? 5.敷地と建物の配置関係(江戸~現在までの変遷) 6.生業と建物(米作、養蚕、炭焼き、林業、・・・・何を営んでいたか?)
鈴鹿家住宅復原平面図 旧大沢家住宅移築復原平面図
鈴鹿家住宅復原 案
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